生成AIに質問を入力しても、期待していた回答とずれることがあります。文章としては自然でも、自社のルールに合っていなかったり、対象者に適した説明になっていなかったり、判断に必要な条件が抜けていたりするケースです。こうしたずれは、AIの性能だけでなく、AIに渡した前提情報が十分だったかという点からも考える必要があります。このセクションでは、AIが業務に沿って回答するための前提情報を整える「AIコンテキスト設計」の基本を、事業会社の実務に置き換えて整理します。
このセクションで学ぶこと
- AIにおけるコンテキストの意味
- 業務目的、対象者、判断基準、参照資料、制約条件、出力形式の整理方法
- 同じ質問でも、前提情報によって回答が変わる理由
- AIに渡す情報と、渡さない情報を区別する考え方
- プロンプト、RAG、社内資料整備とコンテキスト設計の関係
AIのコンテキスト設計とは何か
AI導入の検討では、プロンプトの書き方に注目が集まりやすい傾向があります。しかし、業務で安定した回答案を得るためには、指示文の表現だけでなく、AIが回答を組み立てるために使う情報全体を整理することが大切です。
AIのコンテキスト設計とは、AIが業務上の回答や判断案を作るために必要な目的、前提条件、参照情報、判断基準、制約、出力方法などを整理し、適切な範囲で渡せる状態にすることです。
この講座では、高度な技術用語としてのコンテキストエンジニアリングではなく、「AIが業務に沿って回答するための前提情報を整える」という実務的な意味で扱います。
人間同士の仕事でも、背景を知らない相手に「これについて回答してください」と依頼するだけでは、意図どおりの結果になりにくいものです。誰に向けた回答なのか、どの規程を参照するのか、どこまで回答してよいのか、社内ではどのような表現を使うのかを共有すると、依頼を受けた人は状況に合った回答を作りやすくなります。
生成AIも同様です。AIは、入力された質問だけでなく、同時に渡された情報や会話の流れなどを手掛かりにして出力を作ります。そのため、業務で利用する場合は「質問文をどう書くか」だけでなく、「回答に必要な文脈をどのようにそろえるか」という視点が重要です。
コンテキストは、単なる補足説明ではありません
コンテキストという言葉は、「背景説明」や「会話の流れ」と訳されることがあります。ただし、業務利用におけるコンテキストは、説明文を長く付け加えることだけを意味しません。
たとえば、社内規程に関する問い合わせへの回答案をAIに作らせる場合、次のような情報がコンテキストに含まれます。
- 何のために回答案を作るのか
- 質問者が一般社員なのか、管理職なのか
- どの社内規程や運用ルールを参照するのか
- 判断に使う条件や例外が何か
- 回答してよい範囲と、担当部署や資格者へ引き継ぐ範囲
- 文章の長さ、構成、語調、注意書きの付け方
これらは、AIに多くの情報を与えるための項目ではありません。業務上の目的に合った回答を作るために、必要な情報を見極めるための項目です。
図解:質問と業務の文脈を組み合わせて回答案を作る
AIの出力は、質問文だけで決まるわけではありません。業務目的、参照情報、制約条件を組み合わせ、業務で確認しやすい回答案へ整えます。
- 社員からの質問
- 作成したい文書
- 整理したい事項
- 業務目的
- 対象者
- 判断基準
- 参照資料
- 制約条件
- 出力形式
- 対象者に合った説明
- 根拠を踏まえた整理
- 確認事項を含む出力
この図から読み取ってほしい点は、AIに情報を渡す目的が「詳しい文章を書かせること」ではなく、「業務上の前提に沿った回答案を作りやすくすること」にあるという点です。
AIコンテキスト設計を構成する6つの基本要素
コンテキストとして整理する情報は、業務によって異なります。最初から細かな項目を網羅しようとすると、かえって検討しにくくなることがあります。まずは、次の6つの基本要素から確認してみましょう。
業務目的
AIに何をさせ、その結果をどの業務で使うのかを示します。
対象者
回答を読む人や、整理の対象となる人の立場を確認します。
判断基準
どの条件に照らして回答や分類を行うのかを明らかにします。
参照資料
規程、手順書、FAQ、申請様式など、根拠となる情報を指定します。
制約条件
回答してよい範囲、避ける表現、確認や引継ぎが必要な事項を定めます。
出力形式
文章の長さ、項目、記載順など、利用しやすい形を示します。
1.業務目的――何のための出力なのか
最初に整理したいのは、AIを使う目的です。同じ社内規程に関する質問でも、社員に提示する回答案を作る場合と、人事担当者が検討するための論点を整理する場合では、必要な出力が異なります。
たとえば、「休職制度について説明してください」という依頼だけでは、制度の一般的な説明になる可能性があります。一方で、「社員からの問い合わせに対し、人事担当者が確認してから送付する回答案を作成する」と目的を示せば、AIは回答文として使いやすい構成を選びやすくなります。
業務目的を整理する際は、次の三点を確認すると分かりやすくなります。
- AIにどの作業を担当させるのか
- 出力を誰が、どの場面で使うのか
- 出力後に人が何を確認し、何を決めるのか
「回答する」「判断する」といった抽象的な目的だけでなく、業務フローの中での役割まで整理すると、必要なコンテキストの範囲を決めやすくなります。
2.対象者――誰に向けた回答なのか
回答を受け取る人の立場も、重要なコンテキストです。一般社員、管理職、新入社員、海外拠点の担当者など、対象者によって前提知識や必要な説明の深さが変わります。
対象者を整理することは、個人を特定できる詳しい情報を入力することではありません。業務上必要な範囲で、役割や状況を類型化して伝える方法があります。
たとえば、次のような表現です。
- 社内制度に詳しくない一般社員向け
- 部下から相談を受けた管理職向け
- 申請手続きを初めて行う社員向け
- 社内システムの操作に不慣れな利用者向け
このように、回答に必要な属性だけを整理すると、個人情報を不用意に含めずに、対象者に合った説明を作りやすくなります。
3.判断基準――何に照らして考えるのか
AIに分類、判定、回答案作成などを支援させる場合は、何を基準に考えるのかを示す必要があります。判断基準が曖昧なままでは、AIが一般的な知識や文章上の推測を使って回答を組み立てることがあります。
判断基準には、たとえば次のようなものがあります。
- 社内規程に定められた条件
- 申請の受付要件
- 問い合わせを担当部署へ振り分ける基準
- 承認が必要となる金額や契約条件
- 通常処理と例外処理を分ける条件
- 人や資格者による確認へ切り替える基準
前回までに整理した条件分岐や例外処理は、ここで重要な材料になります。業務フロー上の分岐条件を、AIが参照できる判断基準として表現し直すことで、ワークフロー設計とコンテキスト設計がつながります。
4.参照資料――どの情報を根拠にするのか
社内業務では、一般的な知識よりも、自社の規程、手順、契約条件、運用ルールなどが優先される場面があります。そのため、AIに回答案を作らせるときは、参照すべき資料を明確にすることが大切です。
参照資料として考えられるものには、次のようなものがあります。
- 就業規則や各種社内規程
- 業務手順書やマニュアル
- 社内FAQ
- 申請書、届出書、チェックシート
- 製品仕様書やサービス説明資料
- 過去の問い合わせ対応をもとに整備した標準回答
ただし、資料を指定すれば十分とは限りません。資料の版、適用日、対象範囲、優先順位なども確認しておくと、参照関係が分かりやすくなります。新旧の規程が混在している場合や、正式な規程と現場の運用メモが異なる場合は、どちらを優先するかを決めておく必要があります。
5.制約条件――どこまで回答してよいのか
制約条件は、AIの出力範囲を整えるための情報です。禁止事項を並べるだけでなく、どこまでを回答案作成の対象とし、どこからを担当者、専門部署または資格者の確認へ引き継ぐのかを明らかにします。
たとえば、次のような制約があります。
- 参照資料に記載がない事項は断定しない
- 個別事情によって結論が変わる場合は、担当部署への確認を案内する
- 社員の健康情報や家族情報を回答文に含めない
- 資格者(弁護士・社会保険労務士等)の領域に属する法的解釈や個別判断を確定的に表現しない
- 法令への適合性や権利義務に関する判断が必要な場合は、社内法務部門または適切な資格者へ引き継ぐ
- 規程の条文番号と内容が一致しない場合は、回答を保留する
- 特定の条件に該当した場合は、人事担当者や所管部門へ引き継ぐ
事業会社の担当者が行う社内規程の案内や事実関係の整理と、専門資格者の領域に属する法的解釈や個別判断は、分けて設計することが大切です。AIには、規程の該当箇所を示す、確認事項を整理する、案内文の下書きを作るといった補助作業を担わせることができます。一方で、個別案件の法的な結論まで確定させないように、引継ぎの条件を設定します。
制約を整理すると、AIに任せる範囲と、人や資格者が確認する範囲の境界が見えやすくなります。この境界は、次回扱う「人間の確認ポイント」の設計にもつながります。
AIの役割は、確認済みの社内規程や資料に基づく情報整理、論点の抽出、回答文の下書きなどに限定しやすい形で設計します。契約上の権利義務、紛争性のある案件、労働関係法令の個別適用、法令違反の有無など、専門的な判断を要する事項については、社内法務部門または弁護士、社会保険労務士等の適切な資格者へ引き継ぐ基準を設けます。
6.出力形式――業務で使える形にする
内容が適切でも、出力形式が業務に合っていなければ、担当者が毎回大きく修正することになります。そこで、どのような形で出力してほしいかもコンテキストとして整理します。
出力形式には、次のような指定があります。
- 結論、理由、確認事項の順で記載する
- 300字以内の回答案にする
- 箇条書きで手続きの順序を示す
- 参照した規程名と条項を末尾に記載する
- 判断できない事項は「担当部署または資格者への確認事項」として分ける
- 一般社員にも理解しやすい言葉を使う
出力形式は、見た目を整えるためだけのものではありません。確認者が見落としにくい構成にする、記録へ転記しやすくする、次の処理へ渡しやすくするなど、業務フローを円滑にする役割もあります。
| 要素 | 確認する問い | 社内規程の回答案での例 |
|---|---|---|
| 業務目的 | この出力を何に使うのか | 人事担当者が確認後、社員へ送る回答案を作る |
| 対象者 | 誰に向けた説明か | 制度に詳しくない一般社員 |
| 判断基準 | 何に照らして整理するか | 就業規則、休職規程、申請期限、例外条件 |
| 参照資料 | どの資料を根拠にするか | 現行版の休職規程と人事部FAQ |
| 制約条件 | どこまで回答してよいか | 法的解釈や個別判断を確定せず、必要に応じて法務部門や資格者へ引き継ぐ |
| 出力形式 | どの形なら業務で使いやすいか | 結論、手続き、確認事項、参照規程の順で記載する |
同じ質問でも、前提情報によってAIの出力は変わる
AIの回答が期待とずれる理由を考える際は、質問文だけでなく、どのような前提情報を渡したかを確認することが大切です。同じ質問でも、対象者、参照資料、判断基準、制約条件が変われば、適切な回答も変わります。
業務例:社内規程に関する問い合わせ回答案
社員から「育児のために勤務時間を変更できますか」と問い合わせがあった場面を考えます。
質問だけを渡した場合
育児のために勤務時間を変更できますか。回答案を作ってください。
AIは、一般的な育児支援制度や法律上の制度を説明する可能性があります。しかし、自社の申請方法、利用条件、対象社員、承認手続きまでは反映されないことがあります。また、個別事情を確認せずに、利用可否を確定的に表現する場合も考えられます。
業務コンテキストを整理した場合
- 対象者は正社員で、制度利用は初めて
- 現行の育児支援規程を参照する
- 申請期限と必要書類を説明する
- 個別の承認可否や法的評価は断定しない
- 専門的な判断が必要な事項は、人事、法務または資格者への確認事項として示す
- 一般社員向けの落ち着いた文体にする
この場合、AIは自社の業務手続きに沿った回答案を組み立てやすくなります。
ここで重要なのは、詳しい指示を書けば常によいということではありません。業務上の判断に影響する情報を選び、回答に必要な形で渡すことが重要です。
また、前提情報が変われば回答も変わるという性質を、運用上の特徴として理解しておく必要があります。たとえば、規程の改定後も古い資料を参照させていれば、文章が自然であっても現在の運用には合わない可能性があります。回答品質を安定させるには、プロンプトだけでなく、参照情報の更新や適用範囲の管理も必要です。
事業会社でコンテキスト設計を進める4つのステップ
コンテキスト設計は、AIツールの画面上だけで行う作業ではありません。業務の目的、ルール、資料、担当者の判断を整理し、それらをAIが利用しやすい形に置き換える作業です。
資料が十分にそろっていない段階でも、業務の流れから整理できます。最初から完璧な設計を目指すのではなく、対象業務を一つ選び、実際の問い合わせや処理例を使って確認していくと進めやすくなります。
図解:コンテキスト設計を進める4つのステップ
利用場面を決めた後、担当者が使っている判断材料を洗い出し、AIに渡す範囲を決めます。最後に実際の事例で出力を比較し、必要な情報を調整します。
利用場面を決める
誰が、どの業務で、何のためにAIの出力を使うかを整理します。
判断材料を洗い出す
担当者が実際に確認している資料、条件、例外を集めます。
渡す範囲を決める
必要性、機密性、正確性を確認し、AIに渡す情報を選びます。
出力を比較する
実際の事例で試し、足りない情報や不要な情報を見直します。
この流れは一度で完成させるものではありません。小さな業務で試し、出力を確認しながらコンテキストを調整していくことが基本です。
ステップ1:AIを使う場面を一つに絞る
「総務業務全体で使う」「問い合わせ対応を自動化する」といった広い目的のままでは、必要なコンテキストを整理しにくくなります。まずは、具体的な利用場面に分けて考えます。
たとえば、総務部門の問い合わせ対応であれば、次のように分けられます。
- 社員からの質問を内容別に分類する
- 参照すべき規程の候補を示す
- 担当者が確認するための回答案を作る
- 追加で確認すべき事項を整理する
- 専門的な判断が必要な案件を法務部門や資格者へ振り分ける
- 対応結果を記録用の形式にまとめる
それぞれの作業では、必要なコンテキストが異なります。分類だけであれば、問い合わせ区分と振り分け基準が中心になります。回答案を作るのであれば、規程本文、対象者、制約条件、回答形式なども必要になります。
ステップ2:担当者が普段確認している情報を洗い出す
AIに必要な情報を考えるときは、「AIに何を教えるか」から始めるよりも、「担当者は現在、何を見て判断しているか」を確認すると整理しやすくなります。
現場担当者へのヒアリングでは、次のような問いが役立ちます。
- 問い合わせを受けたとき、最初に何を確認していますか。
- 回答する前に、どの規程や資料を見ていますか。
- 質問者の立場によって、回答内容は変わりますか。
- 通常どおり回答できないのは、どのような場合ですか。
- 担当者によって判断が分かれやすい点はありますか。
- 回答文で避けている表現や、入れている注意書きはありますか。
- どの段階で上司、専門部署、弁護士、社会保険労務士等へ確認していますか。
担当者が無意識に行っている確認もあります。たとえば、「この規程は契約社員には適用されない」「この申請は月末締めで扱う」「この質問は個別事情を確認しないと回答できない」といった知識です。
こうした暗黙の判断を一度にすべて言語化するのは難しいものです。実際の問い合わせ事例を使い、「なぜその回答にしたのか」「どの段階で担当者だけでは判断しないと決めたのか」を確認すると、必要なコンテキストを見つけやすくなります。
ステップ3:AIに渡す情報の必要性と取扱いを確認する
コンテキスト設計では、AIに渡す情報を増やすだけでなく、渡さない情報を決めることも大切です。情報が多いほど回答品質が高くなるとは限りません。関係のない情報が含まれると、AIが重要な条件を捉えにくくなったり、不要な内容を出力へ反映したりすることがあります。
また、個人情報、営業秘密、未公表情報、契約上取扱いが制限されている情報などは、利用するAIサービスの仕様、契約条件、社内ルールを踏まえて扱う必要があります。
AIに渡す候補となる情報
- 回答に必要な現行規程
- 適用対象を確認するための一般化した条件
- 承認や引継ぎの基準
- 標準的な回答形式
- 利用部門で合意された用語
入力を控える・別管理を検討する情報
- 回答に不要な個人情報
- 必要性が明確でない機密情報
- 利用許可を確認できていない資料
- 古い版と判明している文書
- 真偽や正式性を確認できないメモ
この区分は、すべての会社やAIサービスで共通する固定ルールではありません。自社の情報管理規程、AI利用ガイドライン、サービスの契約内容、データの保存や学習利用に関する設定などを踏まえて決めます。
「その情報がなければ業務上の回答が作れないか」「個人を特定しない形に置き換えられないか」「該当箇所だけを抽出できないか」「AIに入力せず、人が後から確認する方法にできないか」という順に考えると、必要性と安全性を整理しやすくなります。
ステップ4:実際の事例で出力を比較する
コンテキストは、机上で項目を決めるだけでは完成しません。実際の業務事例を使い、どの情報を渡したときに、どのような出力になるかを比較します。
試行時には、正解か不正解かだけでなく、次の観点で確認します。
- 業務目的に合った内容になっているか
- 対象者にとって理解しやすいか
- 指定した参照資料に基づいているか
- 条件や例外を適切に扱っているか
- 回答してはいけない範囲まで断定していないか
- 資格者の領域に属する法的解釈や個別判断へ踏み込んでいないか
- 担当者が確認しやすい形式になっているか
- 不要な情報が出力へ混入していないか
期待と異なる出力があった場合は、すぐにプロンプトの言い回しだけを修正するのではなく、目的、参照資料、判断基準、制約条件のどこが不足していたかを確認します。この見方を持つと、場当たり的な修正を減らしやすくなります。
プロンプト・RAG・資料整備との関係
コンテキスト設計は、Chapter 4で扱ったプロンプト、RAG、社内資料整備と密接につながっています。それぞれは別々の施策ではありません。AIが業務に沿った回答を作るための情報を、どのように用意し、選び、伝えるかという一連の仕組みとして考えます。
プロンプトとの関係
プロンプトは、AIへの依頼内容や役割、出力条件を伝える手段です。コンテキスト設計で整理した業務目的、判断基準、制約、出力形式の一部は、プロンプトとして表現されます。
RAGとの関係
RAGは、質問に関連する社内資料などを検索し、その内容をAIに渡して回答を作る仕組みです。どの資料を検索対象にするか、どの情報を優先するかは、コンテキスト設計と関係します。
資料整備との関係
規程や手順書が古い、重複している、適用範囲が不明確といった状態では、AIへ渡す情報も不安定になります。資料の版管理や責任部署の明確化が、回答品質の土台になります。
業務フローとの関係
業務フローで整理した入力、判断、処理、例外、引継ぎの情報は、AIに与える前提条件や制約として利用できます。両者を別々に設計しないことが大切です。
たとえば、RAGを導入して社内規程を検索できるようにしても、「どの規程を優先するか」「改定前の規程をどう扱うか」「回答できない場合にどうするか」「どの事項を資格者へ引き継ぐか」が決まっていなければ、業務で安定して使うことは難しくなります。
反対に、プロンプトにすべての規程や条件を書き込もうとすると、更新作業が複雑になり、長い指示文を管理しにくくなることがあります。固定的な役割や出力ルールはプロンプトに置き、問い合わせごとに変わる参照情報は検索や業務システムから渡すなど、情報の性質に応じて分けて考えます。
AIに渡す情報と、渡さない情報を分ける
業務の前提情報を詳しく渡すほど、AIが状況を理解しやすくなる場合があります。一方で、必要性を確認せずに社内情報を入力することは避ける必要があります。コンテキスト設計では、回答品質と情報管理を一緒に考えます。
必要な情報だけを選ぶ
まず確認したいのは、その情報が回答に本当に必要かという点です。たとえば、休暇制度の一般的な申請手順を説明するだけであれば、社員の氏名、住所、家族の氏名などは通常必要ありません。
個別の適用条件を整理する場合でも、最初の回答案作成では「正社員」「入社から6か月以上」「対象となる家族がいる」といった一般化した条件で足りることがあります。本人を特定する情報は別の業務システムで管理し、AIの出力後に担当者が照合する設計も考えられます。
情報を必要な単位に切り分ける
社内規程一式や人事データ全体を渡すのではなく、対象となる規程の該当部分、必要な属性、今回の判断条件だけを選ぶ方法があります。情報を必要な単位に切り分けることで、AIが参照すべき内容を捉えやすくなり、不要な情報を扱う範囲も抑えられます。
ただし、切り分けすぎると前後関係が失われることがあります。条文の一部だけでは例外規定が分からない場合や、別表との関係を確認する必要がある場合もあります。必要な範囲は、実際の回答事例を見ながら調整します。
利用環境ごとの条件を確認する
同じ生成AIでも、一般向けサービス、法人契約のサービス、社内環境に組み込まれたシステムでは、入力情報の取扱いや管理方法が異なることがあります。社内情報を扱う場合は、少なくとも次の点を確認しておくと、責任者へ説明しやすくなります。
- 入力した情報がどのように保存されるか
- サービス提供者の学習に利用される設定か
- 利用者や管理者が入力履歴を確認できるか
- アクセス権限を部門や役割ごとに設定できるか
- 利用できる情報の区分を社内ルールで定めているか
- 誤入力が起きた場合の連絡や対応手順があるか
技術的な安全対策だけでなく、利用者が判断しやすいルールや入力画面の案内も重要です。「個人情報を入力しない」とだけ示すよりも、「氏名は社員区分に置き換える」「問い合わせ原文を貼り付ける前に識別情報を削除する」など、具体的な運用へ落とし込むと実行しやすくなります。
AIコンテキスト設計でよくあるつまずき
コンテキスト設計では、情報を増やすことに意識が向きやすい一方で、資料の状態や業務上の判断が整理されていないことが原因となる場合もあります。ここでは、実務で起こりやすいつまずきを、見直しの観点として整理します。
つまずき1:プロンプトの表現だけを繰り返し修正する
出力が期待と異なるたびに、「もっと正確に」「詳しく」「分かりやすく」と指示を足しても、参照資料や判断基準が不足していれば改善しにくいことがあります。
まずは、AIに不足していた業務上の情報がなかったかを確認します。誰向けの回答か、どの規程を参照するか、判断できない場合にどうするかを整理すると、修正の方向が見えやすくなります。
つまずき2:資料を多く渡せば精度が上がると考える
関係のない資料、古い資料、内容が重複する資料を一緒に渡すと、AIがどの情報を優先すべきか分かりにくくなることがあります。
資料名だけでなく、現行版か、適用対象は何か、正式な根拠として使えるかを確認します。資料がそろっていない段階では、業務担当者が現在使っている資料から対象を絞っても構いません。
つまずき3:社内で統一されていない判断をAIに任せる
担当者によって回答が異なる業務では、AIに渡す判断基準も定まりにくくなります。AIの出力を確認する過程で、部署内の認識差が見つかることもあります。
この場合は、AIの設定を先に完成させるのではなく、どの条件を標準化し、どの条件を担当者判断として残すかを関係者で整理します。AI導入を、業務ルールを見直す機会として活用できます。
つまずき4:会話履歴に頼りすぎる
生成AIとの会話を続けていると、前に伝えた条件をAIが引き継いでいるように見えることがあります。しかし、会話が長くなった場合や、新しい処理へ切り替えた場合に、必要な条件が十分反映されないことがあります。
業務上重要な条件は、会話の流れだけに任せず、毎回渡す固定条件、案件ごとに渡す条件、参照システムから取得する条件に分けて管理すると安定しやすくなります。
つまずき5:参照情報の更新責任が決まっていない
導入時には正しかった規程やFAQも、制度改定や組織変更によって古くなります。情報を更新する担当者や時期が決まっていないと、古い情報が継続して使われる可能性があります。
資料ごとに主管部門、確認日、版、適用開始日を管理し、改定時にAIの参照対象も見直す流れを設けます。大規模な仕組みが難しい場合は、対象資料の一覧表から始める方法もあります。
つまずき6:出力の用途が途中で変わる
当初は担当者向けの下書きとして始めたものが、運用の中で社員へそのまま提示されるようになることがあります。用途が変われば、必要な説明、制約、人の確認方法も変わります。
利用範囲を拡大するときは、コンテキスト、権限、確認手順を改めて見直します。小さく試した設計を、そのまま広い用途へ流用しないことが大切です。
つまずき7:専門家へ引き継ぐ境界が曖昧になっている
AIが規程や法令に関する文章を自然に作成すると、社内担当者だけで整理できる事項と、弁護士や社会保険労務士等の確認が必要な事項の区別が見えにくくなることがあります。
「紛争性がある」「権利義務への影響が大きい」「法令の個別適用が必要」「複数の解釈が考えられる」といった条件を、専門部署や資格者へ引き継ぐ基準として整理します。AIには、結論を補わせるのではなく、確認が必要な事項を明示させます。
経営者・責任者向けの確認ポイント
経営者や部門責任者がコンテキスト設計を確認する際は、個々のプロンプトを細かく評価するよりも、出力品質を支える情報管理と責任分担が整っているかを見るとよいでしょう。
AIの回答品質を、誰がどの基準で評価するか
「回答が自然だった」「担当者の修正が少なかった」といった感覚的な評価だけでは、改善の方向が定まりにくくなります。業務目的に応じて、評価する観点を決めます。
たとえば、社内問い合わせの回答案であれば、次のような観点があります。
- 現行規程に沿っているか
- 対象社員に関係する条件を反映しているか
- 例外や確認事項を見落としていないか
- 断定してはいけない内容を断定していないか
- 資格者の領域に属する法的解釈や個別判断を確定していないか
- 担当者が短時間で確認できる構成か
- 社員が次に取る行動を理解できるか
何をもって「良い出力」とするかを決めておくと、AIの出力を改善するときに、プロンプト、資料、業務ルールのどこを見直すべきか判断しやすくなります。
参照情報の責任部署が決まっているか
AIが参照する資料について、登録した部門と、内容に責任を持つ部門が異なることがあります。たとえば、情報システム部門がシステムへ資料を登録していても、就業規則の内容や改定状況は人事部門が管理します。
そのため、少なくとも次の役割を分けて確認します。
- 資料の内容を決定する部門
- 現行版であることを確認する部門
- AIの参照対象へ反映する担当者
- 回答品質を確認する業務担当者
- 法的確認の要否を判断する社内法務部門または責任者
- 必要に応じて確認を依頼する弁護士、社会保険労務士等の資格者
- 情報管理上のルールを確認する部門
一人の担当者が複数の役割を持つことはありますが、役割そのものを明らかにしておくと、改定時や例外案件への対応漏れを防ぎやすくなります。
情報の鮮度を保つ運用があるか
AIの出力品質は、モデルの性能だけでなく、参照情報の鮮度にも左右されます。規程改定、人事制度の変更、組織再編、製品仕様の変更などがあったときは、AIが参照する情報も更新する必要があります。
確認しておくとよい項目は、資料の版、施行日、最終確認日、主管部門、次回見直し日、旧版の取扱いです。最初から高度な管理システムを整える必要はありません。対象業務が限定されている段階では、一覧表で管理し、定期的に確認する方法も考えられます。
AIに渡さない情報の基準が共有されているか
入力禁止事項を示すだけでは、利用者が判断に迷うことがあります。情報区分ごとに、入力できる例、加工すれば利用できる例、入力せず別の方法で扱う例を示すと、現場で運用しやすくなります。
また、利用するAIサービスや契約プランが変わると、許容できる情報の範囲が変わる場合があります。サービス導入時だけでなく、契約変更、機能追加、連携範囲の拡大時にも確認します。
AIに任せる範囲が業務上明確か
AIが回答案を作るのか、社員へ直接回答するのか、申請の受付条件を整理するのかによって、必要なコンテキストと管理水準は異なります。
特に、個人の権利、雇用条件、契約、支払い、法令への適合性、セキュリティなどに影響する業務では、AIの役割を明確にし、どこで人が確認するかを設計します。法的解釈や個別判断を要する事項は、社内担当者による事務処理の範囲と分け、社内法務部門または適切な資格者へ引き継ぎます。これはAIの利用を狭めるためではなく、業務上の責任とAIの支援範囲を整理するための確認です。
「どのAIを使うか」だけでなく、「どの情報を根拠として、誰向けの出力を作り、誰が確認し、どの条件で専門部署や資格者へ引き継ぎ、資料が変わったときに誰が更新するか」までを一つの運用として確認します。
AI導入支援者としての着眼点
AI導入コンサルタントや社内推進担当者がコンテキスト設計を支援する場合、最初から「必要なプロンプトを教えてください」と尋ねても、顧客や現場担当者が答えにくいことがあります。業務担当者は、プロンプトを設計して仕事をしているのではなく、規程、経験、承認関係、過去事例などを組み合わせて判断しているためです。
支援者は、AIの設定項目を聞く前に、実際の業務判断をたどる必要があります。
具体的な案件を使って判断過程を聞く
抽象的に「判断基準は何ですか」と質問するよりも、最近対応した事例を一つ選び、受付から回答までの流れを確認します。
- 最初にどの情報を見たか
- どの資料を開いたか
- どの条件で回答を変えたか
- 迷った点は何か
- 誰に確認したか
- どの条件で専門部署や資格者へ引き継いだか
- 回答に入れなかった情報は何か
この聞き方をすると、文書化されていない判断基準や、例外処理の条件を見つけやすくなります。
「情報不足」と「業務未整理」を分ける
AIの回答が不安定な場合、単に入力情報が足りないケースと、社内で判断基準が統一されていないケースを分けて考えます。
前者であれば、参照資料や対象条件を追加することで改善できる可能性があります。後者であれば、AIの設定より先に、業務ルールの合意や責任者の確認が必要です。
さらに、業務担当者の裁量で整理できる事項と、資格者の専門的判断が必要な事項も分けて確認します。社内で判断基準が定まっていないからといって、AIに法的な結論を補わせるのではなく、業務ルールの整備で解決する部分と、専門部署や資格者へ確認する部分を仕分けます。
情報の管理場所まで確認する
必要なコンテキストを洗い出した後は、その情報をどこで管理するかを確認します。すべてをプロンプトに書くのか、社内資料として管理するのか、基幹システムから取得するのか、人が入力するのかによって、更新方法やアクセス権が変わります。
支援時には、次のような分類が役立ちます。
- ほとんど変わらない固定ルール
- 制度改定時に変わる参照情報
- 案件ごとに変わる個別条件
- 利用者ごとに変わる権限情報
- 人が最終的に判断する情報
- 専門部署や資格者が確認する事項
情報の性質ごとに管理場所を分けることで、更新負担や誤利用の可能性を抑えやすくなります。
完成したプロンプトではなく、運用可能な設計を成果物にする
AI導入支援では、見栄えのよいプロンプトを納品するだけでは、継続的な運用につながりにくいことがあります。規程が変わったときの更新方法、利用者が入力する項目、回答を確認する担当者、例外時の引継ぎ先まで整理すると、実務で使える設計になります。
たとえば、次のような成果物を組み合わせる方法があります。
- 業務目的とAIの役割をまとめたシート
- 必要なコンテキスト項目の一覧
- 参照資料と主管部門の一覧
- AIに渡さない情報の基準
- 出力確認の観点
- 専門部署や資格者へ引き継ぐ条件の一覧
- 改定時の更新フロー
最初からすべてを詳細に作る必要はありません。対象業務の規模やリスクに応じて、必要な範囲から整えていくとよいでしょう。
ミニチェックリスト
自社でAIコンテキスト設計を検討するときは、次の項目を確認してみましょう。すべてに明確な答えがなくても大丈夫です。答えにくい項目は、業務担当者へのヒアリングや資料整備が必要な部分として把握できます。
- AIの出力を、誰がどの業務で利用するか説明できますか。
- 回答案を作る際に、AIが参照すべき現行資料を特定できていますか。
- 対象者によって変わる条件や説明内容を整理できていますか。
- 通常処理、例外処理、人への引継ぎを分ける基準がありますか。
- 法的解釈や個別判断が必要な事項を、法務部門または適切な資格者へ引き継ぐ基準がありますか。
- AIに渡す情報と、入力を控える情報の区分を確認していますか。
- 規程や資料が改定されたときに、AIの参照情報を更新する担当者や流れがありますか。
まとめ
コンテキスト設計は、AIに業務の前提を伝える設計です
AIのコンテキスト設計とは、AIが業務に沿って回答や判断案を作るために、業務目的、対象者、判断基準、参照資料、制約条件、出力形式などを整理することです。
同じ質問でも、前提情報が変われば適切な回答は変わります。そのため、業務で生成AIを使う場合は、プロンプトの文章表現だけでなく、どの情報をどの場面で渡すかを考える必要があります。
また、コンテキスト設計では、情報を多く渡すことだけを目指しません。回答に必要な情報を選び、個人情報や機密情報など、AIに渡さない情報を区別することも大切です。
法務・労務に関する業務では、社内規程に基づく案内や事実整理と、資格者の領域に属する法的解釈や個別判断を分けます。AIの出力を確定判断として扱わず、必要な案件を社内法務部門や弁護士、社会保険労務士等へ引き継ぐ流れまで設計します。
コンテキスト設計は、これまでに扱ったプロンプト、RAG、社内資料の整備、業務フローの整理をつなぐ役割を持っています。業務担当者が普段どの情報を見て判断しているかを確認し、固定ルール、参照資料、個別条件、例外処理に分けていくと、自社に必要な前提情報を整理しやすくなります。
最初から完璧に決める必要はありません。まずは一つの業務例を選び、現在の回答手順と参照資料を確認してみましょう。実際の出力を比較しながら、不足している情報や不要な情報を見直すことで、業務に合ったコンテキストへ近づけられます。
次回は、AIが作成した出力をどこで人が確認するのか、どの項目を確認対象にするのかを整理します。コンテキストを整えても、すべての判断をAIだけで完結させるとは限りません。AIの役割と人の役割をつなぐ「人間の確認ポイント」を設計していきます。
AI導入の検討を、現在の業務から整理する
AI導入では、ツールや技術を先に決めるよりも、対象業務、参照資料、判断基準、情報管理の状況を整理することが出発点になります。検討内容がまだまとまっていない段階でも、現在の業務フローや資料の状態から確認できます。講座全体の構成や関連情報は、次のページでご覧いただけます。